花が咲くころ

世界にひとつしかない薔薇の花束をあなたに贈ります

22さいのふまけんへ

 

風磨くんと健人くんへ

 

「ふまけん」とはなんだろう?
わたしはこの一年間、このことをよく考えてきました。

夏以降の二人を見て、今年もこの日にあわせてブログを書こう、そう決めてからあっという間に過ぎてしまった半年。
「ふまけん」の存在は大きすぎて、いざ文章にしようとするとそれを表現する上手い言葉は全然浮かびませんでした。

 

ただ、健人くんといるときの風磨くんは、風磨くんといるときの健人くんは、なんだか特別に感じます。
健人くんの前でぶっきらぼうな返事をする風磨くんも、風磨くんの前で不安げに目が泳いじゃう健人くんも、健人くんの甘い言葉に照れた顔を隠す風磨くんも、風磨くんのおふざけを無邪気に笑う健人くんも、お互いに言葉で気持ちを伝えられなかった風磨くんと健人くんも、まっすぐな気持ちを伝えられるようになった風磨くんと健人くんも。
他の誰かに向ける姿より魅力的に思ってしまいます。

 

わたしたちファンは、たぶん二人の間にある「意識」とか「空気感」とか、そういう目に見えない曖昧なものを感じとり、黄色い声援に変えて「ふまけん」と呼んできたんだと思います。

ファンのみんなにはいろんな「ふまけん」が存在します。仲良しなふまけん、険悪なふまけん、パフォーマンスするふまけん、ライバル心メラメラなふまけん、ラブラブなふまけん、ちびーずの保護者なふまけん、ふざけすぎてちびーずが保護者みたいなふまけん。
周りが「ふまけん」と呼ぶ見えない何かは、風磨くんと健人くんを長らく悩ませてしまったね。でも所詮、周りはすき勝手なことを言うことしかできません。

 

カタチがなくて目に見えなくて、定義もない、いつの日からかふわふわと一人歩きした「ふまけん」をつかまえて体現できるのは、菊池風磨中島健人だけだと思います。
わたしは自分の武器にお互いを選んだ二人を信じます。

 

私たち越えれるかな この先の未来 数えきれぬ困難を
言ったろう? 二人なら 笑って返り討ちにきっとできるさ
君以外の武器は 他にはいらないんだ
(前前前世 original ver.)

 


とはいえ、そんなにプレッシャーをかけるつもりはなくって。

いつもの二人にときめいて笑って喜んで呆れてちょっと怒ってまたときめく、そんな日々を過ごせたらしあわせです。
22さいのふまけんへ、おめでとうとありがとう。そしてこれからもよろしくね。

 

 

 

 

 

 

 

 

56本目

ブルゴーニュ

 

f:id:sooooo8p:20200813233041j:image